ぼくらは3次元に生きている
この目を使ってものをみて 、カラダをつかってものに触れる
そこに確かに ”
ある” と、頭とこころで思い実感する。
昨年じぃちゃんが他界し、先月ばぁちゃんも向こうの世界へと還っていった
2人を思い出して悲しみ、切なくなるのはなぜだろうか
涙あふれる心境になるのはなぜだろうか
それは
かたち という
もの しかみていないからなのではなかろうかと思うのだ。
僕はお化けとか霊とかを見たことはない。
実体のないものを頭とココロとで認識できるのは夢で会った人や遭遇した出来事だろう。
手で触れることもできていないし、目でみたわけでもない。
でも確かに触れた感触を覚えているし、はっきいりとした形を思い出すことが出来る。
実体はない でも、確かにそこに存在する世界。
そこは次元のこえた風が流れる世界なのだろうか。
きっとそんな世界へ自由に行き来する事が出来たら
悲しみ や 切なさ は 嬉しさ や 喜び へとかわってゆくのだろう。
じぃちゃんもばぁちゃんも目にみえず、触ることはできないけれど
みる ことも さわる こともできるはず。
僕らは今何かが何かを超えようとしている時代に生きている。
モノにあふれ隠されていた ココロ を探求する時代に生きている。
じぶんを超えて、またひとつ違った世界へと向かおう。
そこにはすべてある。 じぃちゃんもいるしばぁちゃんもいる。
そんなココロをもてるヒトになりたい・・。