自分のブログを読み返した。
なんの意味もなく。
そこには過去の自分がいて、いろんな感情や想いが思い浮かぶ。
確かに其処に存在した自分。
うれしさ、 かなしさ、 なやみ、 はげみ、 等々
すべてが自分であるのだけれど、すべてが自分でないような。
そんな感覚に陥るのも事実。
こんないいこと言ってる!これほんとに自分なのか?
と、思ったりもする。(よくもわるくも)
自分で自分がわからなくなることもあるのだから
自分が他人をわかるのはもっとむずかしいこのたのだと、
そう思った。。。
ただ、それは悩むことではなくて
むしろ自然で、
必ずしもわかる必要はないように感じた。
見える部分部分すべてが本当で、
ひとつひとつの本当をつなげてゆく。
自分に合う合わないはもちろんあるけれど、
全てを受け入れる事も、否定する事もないのではないか。
みえないものをみえないまま受け入れるひろさがほしい
じぶんがみることのできる世界は
みえない世界のひろさに比べるとほんとに小さいもので
周りにはまだまだいろんな可能性が存在する
上を向いて歩こう
みえない世界の存在をしり
自分の世界をしり
無限なる時間と流れがあることを感じて