生きている中でなにがみえるのか
ときどきふと思うことがある。
今歩いているアスファルトや、横切った建物。
ソラを飛ぶトリやすれ違った見知らぬ人。
この流れている時間や、自分の考えている思考。
こんなものたちが実は虚空で架空で
このカラダを使っているほかの自分がみえてきたり。
そんな勘違いをしてみたり。
でも、どこか、意識という存在があるならば
きっと時間も場所もえらばず、どこへでも自由にどこまででも自由に
とらわれずにすすんでゆけるんじゃないか。。
なーんて想ってみたり。
そんなことを言いながら
後姿の女の人にみとれてみたり、
どーしても欲しいおもちゃをみつけてしまったり、
横から割り込んできた車に腹をたてる。
そうやっても生きてゆける。
そうしなくても生きてゆける。
なにをどうして生きてゆくのか、正しい道はひとつもないし、
何にとらわれる必要もない。
みえるものを さらに遠くから。隅から隅まで。
奥の奥まで。裏から、後ろから、横からみてみる。
いままでとは違ったみえるものがみえてくるのではないだろぅか。。
そんなまとまりのないつぶやき。